fastapple's blog

時系列関係なく、情報を追記・分割・統合などします。ブログに記載の内容のうち、引用ではなく、私自身が記載している文章・コードなどについては、自由にご利用ください。

~ 多くの企業はサイコパスである ~ 【映画レビュー】『ザ・コーポレーション』


タイトルに映画名とレビューとだけ書いても、元々どういった映画なのか概要を知っている人しかみないような気がするので、少しセンセーショナルなタイトルにしようとした結果がこの記事のタイトルです。

マイケル・ムーアがしょっちゅう出てきたからこの映画の監督なのかと思ったら、どうやら違うらしい。

企業、いわゆる法『人』という仕組みはかなり独特だ。法人は罪を犯しても裁きを受ける有形の身体を持たない。しかし、人と似たような権利を有している。非常に特殊な存在である。

で、企業が人と似たような性格を持っているのならば、サイコパスの診断テストにかけてやることもできるわけである。

その結果、この映画では、企業はサイコパスであるという結論に至る。

思ったこと。企業の目的は多くの場合、利益の追求という軸でしか語られない。しかし、利益を追求するだけで、社会の事を省みることがないのならば、結局社会性がないという部分で企業はサイコパスになるべくしてなる。といえるかもしれない。

だから企業は、経営者が善良であろうとなかろうと、その性質上サイコパスになる可能性を秘めている。

サイコパスという事自体、まだまだ自分はわかっていないことが多い。反社会的ということがサイコパスに言われる特徴であるが、では反社会的な性格はその『人』自身を生きにくくするのだろうか?答えは『否』。個人としてはサイコパスの方が生きやすいこともあるかもしれない。(もちろんサイコパスの多くは決して幸せではないという指摘もあるが)。だからこそ、反社会性というのは、非常に恐ろしい性質を秘めているわけである。反社会性を治療することに、治療される側が持つ合理的なメリットは何もない。簡単にいうと反社会性というのは、局所最適であり、全体最適ではない。それだけのことだ。

持続可能な社会。ということが最近言われてきている。いいことだが、これをスローガンだけで実現するのはなかなか難しいようにも思える。やはり法の構造を変えることが必要だろう。

とりあえず思いつくこととして。
・企業には、その規模に合わせた『持続可能性』を責務として法という形で追わせる。
・個人のマインドセットを変える。企業の第一目的を利益の追求に置かない。利益の追求は手段であり、企業の目的を別のところに置かせる。
・企業の目的より、利益の追求を優先する企業を解体する権利を個人に持たせる。

(上記はまだまだ、企業の目的について煮詰められていないので不完全であるが、とりあえず書いておく。)

自分は昔から、当然のように企業の目的が利益の追求であると語られる風潮には疑問があった。それは、建前であって、事実ではないはずだ。

もし、企業が何がなんでも利益を追求することだけを考えるのなら、反社会性を持つのは当然のことだろう。法という縛りも、近年の、多国籍企業などに至っては、効果は限定的かもしれない。企業は文字通り『傷つかない身体』を持ち、反社会性を持つ『人』として猛威をふるうだろう。

とりあえず、企業という危なっかしいシステムを頭の片隅に入れておく目的でも、この映画を見ておく価値はあるかもしれない。