fastapple's blog

時系列関係なく、情報を追記・分割・統合などします。ブログに記載の内容のうち、引用ではなく、私自身が記載している文章・コードなどについては、自由にご利用ください。

損ばかりの人間関係、あるいは、損得のボラティリティが大きい人間関係は断たなければならない。


「自分へ」というタグを新たに用意してみた。過去の自分が知っていたらよかったと思う事などを書いていきたい。現在の自分に対しても、自戒の意味で書いている。

タイトルのとおりだが、自分が損ばっかりするような人との人間関係というのは断たないといけない。こう書くと、当たり前の教訓のように感じるが、少々イレギュラーなパターンなども書いていきたい。
まず、自分が嫌いな人で、なおかつこの人といると損ばかりするというような場合には、その縁を切るのは容易なことだと思う。自分から避けていけばいいので容易い。
だが、(私自身のケースでいえば関係は良好であるが、)世間ではそれが親や兄弟だったりする人もいると思う。私はその場合でも、積極的には関わるのを避けるようにしなければいけないと思う。
そのとき、自分の良心が痛むかもしれないが、人間というのは、基本的には1人前で手一杯なのである。だから、本当に余裕のあるときに、2人前をやってみたりすればいいのだ。それも別に気まぐれでいい。
縁を切るといっても、なにかそういうものを宣言する必要もない。もし状況が変われば再度関係を戻してもいい。だから、相手にそのことを知らせたりとかする必要は一切ない。自分の中で、この人とは積極的に関わるのはやめよう。といった線引きをするだけで十分である。

次に、これもよくあり、注意したいことだが、自分が嫌いではなく、好意がある友人あるいは恋人などと付き合うことで、実際には自分が損を重ねているというような状況だ。
これはなかなか断つのは厳しいが、執着をなくすことが大事だ。必要な人間関係など、本来は何一つないのだと、自分に言い聞かせることが大事だ。
ドタキャンでもいい。不要と思ったら、距離を置くことが大事だ。もし、相手に直してほしいことがあるなら、それを伝えることはよいことかもしれない。
ただ、距離を置くことを条件のように相手に持ちかけたり、相談する必要はない。別れというのをわざわざ宣言したいというのは、ある種の欲であるが、そんなものはうまくいかない。
腐れ縁にきれいな終わり方などないと心得ることだ。疎遠にしたければ、自分から積極的に関わることをやめるだけで済む。それで非難される言われはない。
万一、相手にそれで改善がみられるのならそれもいいが、多くは離れていくことだろう。だが、それでいい。お互いにとって絶対に必要な人間関係などない。
コミュニケーションはしてもいいが、それによって生じた結果に、一喜一憂しないことが大事である。相手を変えようとする試みは失敗する。もう最終的にどうでもいいときにそういう試みをしよう。
そして、なるべくいつもそういうモチベーションで人に接するべきである。
維持しなければもったいない人間関係などはないと心得る。

最後に、損得のボラティリティが大きいひととの付き合いだ。ボラティリティとは要するに、この人といるとすごいハッピーなこともあれば、すごい悲しいことも両方あるというような場合だ。
このときに、そもそもその悲しみというのが耐えられるようなものかを見極めることが大事だ。たとえば、それ単独の悲しみなら乗り越えられても、複数同時にあれば乗り越えられないかもしれない。
経済的な話も同様だ。ボラティリティが大きい場合は、あくまでもマイナスの大きさを見ることが大事で、マイナスが大きすぎるならやはり避けないといけない。
なぜかといえば、これは仕組み的には中毒性のある嗜好品と同じだからである。つまり、ボラティリティが高いということはそれだけ依存性が高いということである。
パチンコなども結局、普通は発生しないボラティリティを金銭に安易に発生させる装置であるから射幸性が高いのである。こういった人間関係は射幸性の高い人間関係と言い換えることもできるだろう。
深入りしてはいけない。

また、こういった関係を断つときに自分が善人であるということを保とうとする力が働いて、できないということもあるかもしれない。
自分は悪人であってよいという気持ちが重要だ。そのうえで、法律が許すならば、いや、もう法律スレスレでもいい。なるべく譲歩しないことが肝心になってくる。

だらだら書いたけど、20代のときにこの事にもっと注意しておけばよかったと思っている。
今、少し同じようなことで困っている。20代の頃ほどではないが。
40代では、こういう悩みごとは皆無にしたいなぁ。どうなることやら。