fastapple's blog

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過学習ゲームとNOTBAD戦略


最近、チェッカーコンテスト(レジ店員のコンテスト)の動画をみた。youtubeで割と再生数を稼いでいる。(もともとはトリビアの泉だろうか)率直にいえば、こんなレジの人見たことないという感じで、結構面白い。
爆笑レジ係全国大会 - YouTube

動画では、チェッカー(レジの店員)がおよそスーパーなどでは場違いなほど大きな声を出して、劇団員ばりの接客を行うというシーンが繰り広げられているが、こういうコンテストはおそらく配点が声の大きさなどで加点される仕組みになっているだろうから、「なるほど。確かに声を大きくしても減点される恐れがないなら、不自然なほど大声で接客して安全側(減点されない側)に倒したほうが戦略としてはいいだろう。」と思ったりした。

こういうのってなんか既視感があるなぁと思ったが、一つは体育会系の部活などにみられる大声での挨拶などではないだろうか。一種、「これだけ大きな声を出していれば文句のつけようがないよね?」という開き直りを感じさせる。こういうシチュエーションは他でも色々あると思う。

評価軸が丸見えのシチュエーションで、評価点を高くすることを目標とするときに、評価軸が単純化されすぎている場合には、機械学習でいうところの過学習のような状態になると思う。このようなコンテストは、まさにそのような状態になっているので、このような評価軸をもつコンテストなどの舞台を、過学習を助長しているゲームということで「過学習ゲーム」と呼ぶことにすると、まさにこの画一的な評価軸に対するハックは、「NOTBAD戦略」と名付けることができると思う。(ある評価軸に対して、その評価軸だけを用いて評価するのなら、文句のつけようがないという意味で。)

一般に評価軸がオープンになっているようなコンテストや、実際の現場では、このようなゲームが見られるのではないかと思う。公平ではあるが、役には立たないという。一方で、評価軸を曖昧にすれば出来レースなどの疑念を抱かれる可能性が高くなるので、結局「よい評価軸」を作ることが重要だが、それはそんなに単純なものにはならない。ということになる。