fastapple's blog

時系列関係なく、情報を追記・分割・統合などします。ブログに記載の内容のうち、引用ではなく、私自身が記載している文章・コードなどについては、自由にご利用ください。

唐突・曖昧


最近、よい文章とは何かを考えれば考えるほど、わからなくなってくる。理路整然とした文章。結論を先に言い、後で説明を補足する。そういうのがよい文章だと云われており、如何にもそのとおり。納得のいく説明だと思う。「そりゃそうだ。」という感じ。一方で、作家などの文章を読むたび心の中で「これ、わかりやすいか?」と思う。「犯人は〇〇さんです」と、結論を先に言う推理小説。いやすぎる。どんな文章にも小説のような探求心を求めているのかもしれない。読者はみんな、そんなバカじゃない。ボクはここで、結論に達した。よい文章はぼんやりしている。つまり、曖昧だ。複数の意味に捉えられる文章を避けようとするあまり、味気のない文章になる。文法的に分からなくても文脈で分かるなら、むしろ文章は曖昧なままの方がよいのではないか?また、よい文章は繋ぎ目が唐突である。文頭、「メロスは激怒した。」という表現は、コテコテすぎると云われる。それを敢えてつかったわざとらしさも含めて見よということなのだろう。文頭は兎も角、文章の繋ぎ目を唐突に切り替えるのはわざとらしくない。実際、割と使われている。音楽で言えば、サビの部分だ。文章全体の流れを意識しすぎるといつまでも文が終わらない。音楽で言えば、Aメロ、Bメロのあと、サビに入れずいつまでもメロを積み重ねているようなものだ。文章にも音楽的な唐突さが必要になる。段落を抜けたら雪国がないといけない。もしかしたらとんでもない思い違いをしていたのかも。本当は読み手はわかっている。だから唐突でも分かってくれるし、分かるギリギリまで曖昧にしていいし、おかしな冗談を言ってみたって完全に理解される。誤解される心配が全くないんだとして文章を書いたらどんなに自由だろうか。

と、いうことでこれからはもっと遊ぶように文章を書いていきたい。