間違っているものが発見されやすい世の中
以前より、インターネットなどで人の内面の部分が共有されやすい世界になったと思う。そうしたとき、ぼくが感じたのは、人間の思う感想というのは、驚くほど自分と似通った人が居るということだ。そうした中で、自分と相容れないような意見の人もいるが、そういう人も一定の種類というかクラスタで分類できるような感じがしている。
で、例えばフェイクニュースなどは拡散されやすいけど、すぐに訂正される機会も増えていると思う。また、フェイクニュースではなく、間違った情報が広まってしまったとしても、それが訂正される自浄作用が自然と働くのがインターネットだと思う。
あとは、やっぱり時代を支配するメンタリティというのがあるように思う。例えば、人工知能の台頭であったり、昔は産業革命などだったのだろうと思うが、そういう時代背景に対する感じ方というのも時代ごとに似通っているのだろう。
偏った考え方から、なにか悪習が生まれるといったことがなくて、本当にいい世の中になったと思う。たとえば、男女平等など、無数の疑いようのない、完全に正しいことを、言えない空気感というのがブラインドの時代にはあったと思うが、今はなくなってきている。
明らかにおかしいよなぁ。というものがキチンと訂正される世の中にどんどんなっていってほしい。