fastapple's blog

時系列関係なく、情報を追記・分割・統合などします。ブログに記載の内容のうち、引用ではなく、私自身が記載している文章・コードなどについては、自由にご利用ください。

一点集中型の戦略とねじれの構造


A Chain is no stronger than its weakest link. 直訳すると、鎖の強さは、その鎖の一番弱い輪よりは強くならない。ということである。こういった側面をもつ物事は多く存在する。例えば、何かを攻撃するとき、一番弱い部分を突けばいいが、防御する際は全てを守らなければいけない。最近はやりの標的型メール攻撃にしても、何千通、何万通とメールを送って、誰か一人がメールのリンクをクリックするなりしてくれればいいわけである。

さて、こういったことは実はビジネスの世界でもある。例えば一点集中の最たるものが、賄賂である。組織を動かすことが難しいなら、その中の誰かを味方につけてしまえばよい。その好例が賄賂だ。しかし、もちろん賄賂などは倫理的に(というか法的に)どんどん難しくなっている。社会が成熟してきたからである。

一般的に、一点集中というのは、弱者の戦略である。ランチェスター戦略では、弱者は一点集中型戦略をとるのがよいとされるようであるが、もっといえば、整備されていない道を走るには、一点集中は効果的なのである。つまり、賄賂などがあまり効果的ではなくなっているのは、社会が成熟するにつれて、人々の倫理観が整備されてきたからである。整然とした倫理プロセスが人々の脳内にある。「賄賂は当然だめだ」という思考である。思考自体はアルゴリズムであるとみなせる。つまり人々を巨大装置と見做したとき、成熟した社会であればあるほど、賄賂のような戦略は通用しなくなる。

しかし、わたしは最近、そのような法的に問題のある戦略以外に、この一点集中型の戦略が存在するのではないかと考える。

例えば、感動によるマーケティングである。これはカルト商法などに通じるものがあるかもしれない。例えば、何か売りたいものがあるなら、それが売りたい企業にとって重要かどうかというより、その中の人をその売りたいものの信者にしてしまえばよいということだ。こういうことは違法性がないので、現在でも非常に多く行われている。私はこういう商法が悪いといいたいわけではない。ただ一点集中型の戦略の一つとしては興味深い。

だから、とにかく、これだけは他よりも優れているという点を、ただひとつでも作れば、そこが非常に武器になるということである。

特に対企業に商売をする場合、意思決定をするのは個々人であるのに、お金を使うのは企業であるという「ねじれの構造」が出現している。こういったねじれの構造に(言い方は悪いが)付け入ることは、戦略としてある程度有効であることは事実である。例えば、企業と個人のねじれ以外にも、近年は、子供と親のねじれ(子供相手の商売は、実際にお金を使うのは親である)を利用して儲けていると批判された企業や、あるいはブランド業なども、例えば最近は、女性向けショッピングサイトの購入ページに、「彼氏にこの商品をおねだりする」みたいな男からすれば相当憎たらしいボタンがついているわけである。こういった「ねじれの構造」に付け入るようなマーケティングは(賛否両論あるだろうが)戦略として有効であることはわかる。こういうとき、製品をほしいとおもう人と、実際に買う人に違いがあるというのは、ショッパーとコンシューマーに差異がある状況である。

たとえば、子供のためにクリスマスプレゼントを親が購入する場合、ショッパーは親であり、コンシューマーは子供である。このようにコンシューマとショッパーにねじれの構造があるとき、マーケティング戦略としては、次のようなものがある。

1.コンシューマーを手に負えなくする。
これは近年問題になったスマホの課金や、駄々をこねて譲らない子供を持つ親が体験するようなことである。つまりコンシューマーに強く訴えれば成立するマーケティングはある。

2.ショッパーを懐柔する。
これは例えば、子供が好きなお菓子を親が買うような場合、子供は健康のことなんて微塵も考えはしないが、親はあれこれ考えて、少しでも健康によいものを買い与えたいと思うだろう。そのときショッパーとしての親に訴えるのは効果的である。

少し話を戻すと、例えば賄賂は、このモデルでいうショッパーの懐柔の非常にわかりやすい例である。しかし世の中にはもっと思いもよらぬモデルが存在するだろう。そういったものを見つけられればビジネスチャンスはあるかもしれない。それが人々にとってよいものになるかどうかはともかくとして。