人間は言葉で他人を操ろうとする。人に何かしてもらいたいとき、暴力によって支配するのではなく、多くの場合は、言葉によって動いてもらおうとする。また、その言葉を聞いた人間も、多くの場合、そのとおりに行動する。つまり、言葉によるコミュニケーションが成立している。私は時々、言葉によるコミュニケーションが成立すること自体、不思議に思うことがある。
そこで、物理的な力と言葉の違いを考えてみる。例えば、ある人(Aさん)を遊園地へ連れて行くケースを考えよう。まずは、物理的な力で人を無理やり遊園地へ連れて行くケース。これは成功するかもしれないが、すごく強い力が必要であるので、何度もやろうとすると大変だし、一度も成功しないかもしれない。しかも途中で帰ってしまうかもしれないので、ずっとそのような力を維持していなければならない。このように物理的な力で人を動かそうとすることは大変むずかしい。一方、言葉で一言、遊園地に行こうといえば、すぐついてきてくれるかもしれない。(ついてきてくれない場合もありうる)失敗する可能性はあるものの、物理的な力を利用するよりもずいぶん少ない労力で行える。
これはつまり、言葉というのは、プログラミングと本質的に違いがないということだ。相手のもつ「自発性」に訴えている。我々が通常、プログラミングをする際は、対象のコンピュータが持つ「自発性」を利用しようとする。
一方、モノを持ち上げたりするのに、モノに言葉を呼びかけることはない。モノには自発性がないからである。だから、物理的な力を利用する。
少し例を変えると、恐怖による支配というのもある。これは例えば悪人が人質に銃を突きつけて、言うことを聞かせるようなケースである。これは実はよく考えると、物理的な力ではなく、言葉による力、銃を突きつけるという非言語によるコミュニケーションが成立している。(例えば銃についてしらない人が銃を突きつけられてもこういった支配は成立しない)つまりこれも言葉(ボディランゲージ)による支配である。
上記から人間はプログラミング可能な存在であるといえる。その人間が知り得る言語を入力として、なにか行動を起こす。人間とコンピュータというのは人間と石ころよりも、その点で差が少ない。
もちろん、言葉を発するにもエネルギーが必要だが、物理的な力に比べて少ないエネルギーで済む。エネルギー効率がいい。
以下、よくわかっていないことをメモ。
人間はどういうコンピュータに近いのか?
(決まった入力に、決まった出力を返すわけではない。)
一貫性のある出力を返すなら、どの程度一貫性があれば予測可能なのか。
など