fastapple's blog

時系列関係なく、情報を追記・分割・統合などします。ブログに記載の内容のうち、引用ではなく、私自身が記載している文章・コードなどについては、自由にご利用ください。

プロセスコストについて(JASRACと雅楽の記事を読んで)


古い記事ではあるが、以下のような記事をみつけました。

全文表示 | 雅楽演奏に著作権料求めるJASRAC 演奏者びっくり「千年前の作品に支払うの?」 : J-CASTニュース

雅楽の演奏者に対して、JASRACが使用料を要求してきたというニュースでした。
実際、JASRACというのは、あまり下調べをせず、いきなり電話をしてくることがあるようで、今回のケースも、自社で著作権を管理している楽曲が演奏された事実があるかどうかを調べていないように思います。

事実関係などはわかりませんが、今回この文章を書こうと思ったキッカケは、上記のような「現象」が、多く社会的に見られると思ったからです。

ぼくは、これを「プロセスコスト」という言葉で表現することができると思いました。

「プロセスコスト」というのは、文字通り、プロセスにかかるコストのことです。

そして、この、プロセスにかかるコストが、多くの局面でないがしろにされていると思います。

法の世界では、「疑わしきは罰せず」という原則が広く普及しています。私はここに足りない原則をもう一つ加えるべきだと思います。それは、「プロセスにかかる費用は、原則、プロセスの結果を享受しようとする者が負担するべきである」という原則です。

今回の例で言うと、JASRAC側ではなく、雅楽演奏者の側が、自分の演奏曲目がJASRACの管理下にないことを「示すプロセス」を強いられています。このケースでは、常識的に雅楽著作権JASRACが管理していないことをすぐに示したようですが、これを示すのは本来はJASRAC側ではないかというのが、この記事の争点であり、違和感を感じる部分ではないでしょうか?その違和感の正体になまえをつけるとするならば、それを「プロセスコスト」という名詞を使って説明できると思いこの記事を書きました。

嫌疑をかけるのであれば、それ相応のbetをしなければ釣り合わないと思います。このケースの場合は「無実を証明するプロセスにかかるコスト」です。潔白証明コストとでもいえると思います。痴漢の冤罪などがよく取り上げられますが、これもまさに、潔白証明コストの最たるものだと思います。

プロセスコストは他にもあります。例えば、電話が嫌いな人というのは結構多いです。ぼくの場合は、どちらかというと掛ける側なのですが、掛けられる側というのは応答時間をとられることになります。その場合、「応答コスト」とでも呼べるものを支払っているとも言えるわけです。この際の時間にまで、例えば時給換算で応答コストを請求されてしまっては、電話をかける側としては嫌な気持ちになりますが、例えば、通話料は電話をかける側が負担する場合が一般的であり、そこまでであれば自然な発想だと思います。これは、「応答コスト」という「プロセスコスト」を支払うのはどちらであるべきか?という発想が根底にあることは想像に難しくありませんが、それを一言で言い表す言葉がありませんでした。これは、「応答コスト」であり、「プロセスコスト」であるからだと言い換えることができると思います。

ここまで書いていて、なんか前も似たようなことを書いた気がするな…。と、思ってきたけど調べるのが面倒くさいのでこのままアップロードすることにしました。この場合、読者は無駄に同じような記事を2つ見る可能性があるので、本来ぼくが負担するべきプロセスコストを不当に負担させられていると言えるかもしれません。

おわり