fastapple's blog

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第六感はあるか?


第六感というのは、五感以外の感覚のことをいう。五感は、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚を指すらしい。

もし、これ以外の感覚を人間が備えているなら、それは第六感と呼べる。一体、第六感は、存在するだろうか?

現実的なことを言ってしまうと、人間の感覚は五感にとどまらない。例えば、平衡感覚や、自分の体調に関する感覚では、臓器感覚のようなものがあるということだ。つまり、こういうものを含めれば、第六感は、あるということになる。

そういうのじゃなくて、もっと外界の何かを察知するような第六感はあるだろうか?

これに対する答えは、「第六感はありうる」といえるのではないか、少なくとも、ないとは言えない。

人間の感覚というのは、ほとんどが意識に上がらずに捨てられてしまう。たとえ多くのものが視覚に飛び込んできても、人間は不要な情報は排し、すぐにそれが「○○である」という風に限定的に「認識」する。その前に意識に何かが上がってくることはない。もし、無意識から意識に情報が伝達される際に、処理されない情報が入ってくるとすれば、まずなんだかわからないものが見えて、そのあとそれが、例えば花だとわかる。しかし、通常はそのようなことはなく、意識に上がってきた瞬間に、それが花だと認識する。だれが、それを花だと意識へ伝達したのか?それが無意識の仕業である。つまり、意識に上ってくる情報は、「すでに十分捨象されて、概念・エッセンス化されたもの」が上ってくるのだ。

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例えば、視覚などは、無意識と意識がほぼシームレスにつながっているように見える。つまり、まず、無意識で情報が処理されて、処理後の情報が、意識に上がってくる。

光子の数を3つ程度に絞って、それを見る実験を行うと、完全に見えたという実感はないものの、あてずっぽうで左か右か言ってくれと被験者に聞いたら、単なる偶然ではない確率であてることができた。という実験結果があるようだ。

もちろん、光子の数をそのまま、増やしていけば、「意識」レベルでも完全に光が見えるだろう。しかし、人間には見えないと思っていたレベルでの光子数でも、人間の「無意識」レベルでは、「見えていた」のである。

さて、このような結果は、人間が意識に上がってくる「前に」多くの情報を捨てていることを示唆している。

例えば、そもそも、意識では感じることのない感覚があるとすれば? 人間は無意識でしかそれを感じることができない。

そんな感覚があるとすれば?

視覚の場合、「無意識への感覚があふれ出して」意識へ、感覚として伝わるようなイメージがもてるだろう。

でも、すべての感覚がそんなに「連続的なもの」として存在しているだろうか。

視覚の場合でも、捨てられている情報がたくさんあるなら、単純に連続的なものとも言い切れないだろう。

意識される感覚と、無意識下の感覚が、そのように異なっているとすれば。

まだ気づいていない、無意識下の感覚が存在するかもしれない。

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もしかしたら、そういう部分で、なにか外界からの刺激を、人間が受け取っていても、不思議なことではないだろう。

そういうことを思った。