老害について
ちょっと前からいわゆる、キレる老人などということが言われるようになってきた。年をとって脳が衰えた時、自分はそれに気づくことができるのだろうか?といったことをたまに考える。
問題:人間は、自分の脳が衰えた時、どの部分がどのように衰えたか、どの程度把握することができるだろうか?
上の問題は、人間につきまとっているテーマと思う。この問題の回答はすぐにはわからないが、ぼくは、これは一旦あきらめるのがよいように思う。つまり、自分がどう変わったかなんて、把握することは不可能であるという立場だ。
しかし、もしいつものように自分が行動していて、人から指を指されて、あなたは老害だ。といわれたら、その時はじめて自分が変わったのかもしれないと、思い直せばいいのではないだろうか。
死なない人がいないように、老いることは不可避である。だから、そのことに怯えるよりは、「人任せ」にして、自由に意見を発信していけばいいと思う。やり過ぎだと指摘されれば、おそらくそうなんだろうと控えて他のことをして、またほとぼりがさめたころにいろいろとやればいい。
そういうふうにすればいいんじゃないかと、漠然と思ったので書いておく。
以上。自分が老害になることを恐れることについて。
(また、考え変わったり、新たに思うことができたら書き足すかも)