fastapple's blog

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暗黙の試験について


心理学の話ではないが、人の心を説明するときに、そういう概念を表す言葉があると助かる。というケースは多い。最近、自分が考えるのは、「暗黙の試験」という概念だ。

「暗黙の試験」は英語で云うと、silent challengeというのがしっくりくる。testではなく、challengeなのは、これが、平たく言ってしまえば、人を試すという意味だからだ。

人になにかお願いされて、あまり乗り気でない時など、単に断ってしまえばいいものを、変に条件をつけてしまうことがあると思う。思うにこれは人間が本能的にもつ社会性の一つであるギブ・アンド・テイクの精神が露呈したものだと考える。しかしながら、合理的に考えれば、条件を持ち出すまでもなく断ればいいというケースも多いだろう。思うに、何かしら条件を付けたい心理というのは、もはや本能的な行動であるといえる。

勿論、相手に条件そのものを伝える場合もあるが、恋愛関係やその他、相手の要求がハッキリしていない場合(ハッキリされることが難しいような場合を含む)もある。そんなときに、先述のギブ・アンド・テイクの本能は消えてしまうのかというと、そんなことはないだろう。その時に、相手に伝えずに、相手がこうしたら、こうしよう。という暗黙のルールが出来上がることが多い。

それを暗黙の試験と呼びたい。

つまり、なにか相手にお願いしたとき(はっきりしていないお願いが多い)、相手の中では「暗黙の試験」が形成される。それをクリアすれば、聞き入れてもらえるケースがあるのではないだろうか。

勿論、感情としてはその人は乗り気ではない場合もあるかもしれない。

以前、以下のような記事を見つけた。

これによると、脳の尾状核が本能的な思考であり、尾状核と実際の行動の反応が乖離した場合、再度同様の選択を迫られた場合に、尾状核の下した通りに行動するケースが多い。ということのようだが、結局、何がわかったのか、よくわかっていない。もしかしたら、単に人間は疲れると尾状核のような、より本能的な部分で判断を下しやすくなるというだけかもしれないし、理性的な判断というのが尾状核にどういったフィードバックを与えるのか?というのは興味がある。

もし、結局は本能的な判断しか、スタティックなものとして残らないのであれば、暗黙の試験というのもその場しのぎのものでしかないからだ。

いずれにせよ、理性的な判断が本能的な判断に優先するように何かをする(してもらう)ことは、なかなかできることではないだろう。