読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

fastapple's blog

時系列関係なく、情報を追記・分割・統合などします。ブログに記載の内容のうち、引用ではなく、私自身が記載している文章・コードなどについては、自由にご利用ください。

心配する日本語、期待する中国語


日本語で人を送り出すとき、気をつけてください。と言う。これに加えて、事故に遭わないように気をつけてください。などと言ったりする。これは日本語話者の感覚からすると、至って普通である。しかし、これを日本に来て間もない中国語話者が聞いた場合、違和感をもつようだ。「事故に遭う」という表現をそもそも持ちだしていることが、不吉な感じがするらしい。なんならもっと行間を補えば、「(せいぜい)事故に遭わないように気をつけるんだな」(ドラマに出てくる悪役バリに)というように聞こえるのかもしれない。なるほど、確かにこれは一理ある。日本語話者でも、受験に向かう受験生に、落ちるとか滑るとかいうのが忌避されるように、そもそも口にだすのが憚られるという感覚は、日本語以上に縁起を担ぐ中国語ではなおさら広範囲に及びそうではある。

よって、日本語初級者の中国語話者に対しては、あらぬ誤解を避けるためには、そういう「~しないでね」(~には不吉な事象が入る)という言葉を使わないようにするのがよい。言わずもがな、中国語を話すときには、ここは常に注意しておく必要がある。しかし注意するといっても、どういう風に注意すればいいだろうか?それを解決する簡単な概念を考案した。それが題名にある「心配する日本語、期待する中国語」である。

例えば他の例として、「誰かいるの!?」という日本語を考えてみよう。推理ドラマでよくありそうなセリフだが、果たしてこのセリフを吐いた当人は、誰かが居てほしいのか?誰も居てほしくないのか?日本語話者であれば直ぐに、「誰も居てほしくない」と判断するだろう。そしてこれが恐らく日本語話者に共通する感覚である。なぜか?セリフを吐いた当人は「誰かいる」事を”心配”しているのである。なので、その”心配事”がまず口を突いて出てくるのだ。例えばこれが、「誰もいないの!?」だとどうだろうか?ホラー映画などで、仲間とはぐれてしまった子役がいいそうな台詞だ。この場合、セリフを吐いた当人は、「誰もいない」事を”心配”しているのだ。なので、その”心配事”がまず表現されるわけだ。

日本語で、~さんいますか?~さんいませんか?のような文はどちらでも成り立つが、中国語だと、~さんいませんか?のような聞き方は避けたほうがいい。まるで、~さん(まさか)いませんよね?という印象になるからだ。つまり、~さんが「いない」ことを”期待”しているわけである。(実際、中国語ネイティブがどういう印象を持つか聞いたわけではないので、正確なところはわからないが、ただ、避けたほうがよいとは言っていた。)なので、○○在吗?はOKだけど、○○不在吗?のような言い方は(そもそも不自然な感じがするが・・)避けたほうがよいということだ。

例えば、遊びに誘うとき、日本語では「○○さん、来ないの?」と聞く。これは来ないことを心配しており、来てほしい意を表しているが、中国語では、来ないでほしいみたいに聞こえる。中国語では、你来吗?または、你能来吗?と聞けばいい。日本語を直訳して你不能来吗?としてしまうのはNGである。(尤も、来てほしくないならそれでいい)

少し話が逸れるが、○○さん来ますか?と○○さん来ませんか?というのは意味としては全く同じはずなのに、印象としては異なっている。例えば、雨が降った。というのと、雨が降ってしまった。というのは、印象は異なる。後者(降ってしまった)には、降ってほしくなかったという話者の期待が裏切られたというニュアンスがある。こういうものを言語学では、モダリティもしくは法性という。この例は、感情のモダリティだが、推測だとか、要するに話者の主観に依る部分はすべてモダリティと考えてよい。ここで着目すべきは、来るの?来ないの?のような、これ以上ないほどの極めて単純な表現にも、言語によって異なるモダリティが存在しているという事実だと思う。しかし、モダリティはあくまでモダリティであるので、そこは割りきって話をするべきだろう。思うに、明晰な人ほど、語のモダリティが客観的であり、本来主観の要素であるはずのモダリティさえも客観で使うことが多いと思う。例えば将棋の棋士たちが、筋が悪い手とか平気でいうが、それが最善手かどうかは別の話なのである。なので、「一見筋が悪いですが~」などと言っても、それで怒る人はいない。こういうものを「モダリティの客体化」と呼びたい(今、名付けた)。つまり感情と言葉を切り離せないのが初心者、感情と言葉を切り離せるようになるのが中級者、そして本来感情を表す言葉でさえも、「モダリティの客体化」によって、状況をより明確に表現するためのスパイスと出来るのが上級者である。モダリティの客体化を推し進めて、言葉を柔軟に選べるようになれば、また一歩”上級者の会話”に近づけるはずである。

もちろん、普段の会話では、(長々と書いた今日のエントリのように)モダリティに気をつけるに越したことはない。