「除了A以外B」の用法について
今日は、中国語表現のうち、除了A以外Bという表現について、自分の復習を兼ねて記載したい。
この表現の意味するところは以下の2通りがあり、正反対の意味に取ってしまう可能性があるのでそこに注意したい。
1.排除の除了
例文:除了棒球以外,我什么都会。 (野球以外は、なんでもできます)
上記の例文では、通常日本語で使う「~以外」の使い方と同じである。Aを除いて、Bができる。ということであり、ここでAは野球(中国語で、棒球)。Bはなんでも(什么都)である。図にすると、以下のようなイメージだ。
2.列挙の除了
この列挙の除了は、漢字だけ見ると勘違いをしかねないので注意が必要だ。
例文:除了学习汉语以外,我学习法语。(中国語以外では、フランス語を勉強しています)
上記の例文では、最初の部分に相当するA.学习汉语(中国語を勉強する)以外では、B.学习法语(フランス語を勉強する)もある。という列挙の構造がある。(これは、添加関係という説明があったが、私は、列挙という言葉がしっくりくるので、これを使用した。)
図にすると、以下のようなイメージだ。
図のようにこの場合、除了汉语と言っておきながら、汉语もしっかり学んでいるのである。なので、除了~という中国語には、「~を除いては」という日本語をあてると、1,2どちらの場合もしっくりくるとされている。
列挙の特殊な例:
少し、特殊な例をみてみたい。
例文:他每天除了看书学习,不做别的事。(彼は毎日本を読んで勉強する以外は、他のことはしていない)
<<疑問>>
もし、以下のような文章があったら、中国語話者はどのように考えるだろうか。
除了铃木以外,我们看过他们。
鈴木さんが我们に属するのか、他们に属するのか不明なため、次のような解釈が可能であろう。
・もし、鈴木さんが我们に属するなら、ケースⅠ「鈴木さん以外(の私たち)は、彼らを見たことがある」と解釈できそうだ。
・もし、鈴木さんが他们に属するなら、ケースⅡ「私たちは、(鈴木さん以外の)彼らを見たことがある」と解釈できそうだし一方、ケースⅢ「私たちは、(鈴木さん以外にも)彼らを見たことがある」のようにも解釈できそうだ。
それともケースⅢのような解釈は成り立たないだろうか?
こういう曖昧さは当然どの自然言語も保有しているのだが、そのときにその曖昧さがどういう解釈に収束するのかというのを考えるのは、結構面白い。