よく何か上達したり、考え方が変わったりしたとき、それが上手くいけば、それを「進化」した。と表現する。ふつうに考えれば、その通り。当たり前のことだ。これをもう少し突っ込んで考えてみたい。
進化とは、なんだろうか?
例えば、ゲームをプレイして、だんだん勝率が上昇してきたとするこれを進化と呼ぶのは自然だろう。逆に勝率が下降してくれば、退化と呼ぶわけだ。
もし、大人数を集めてじゃんけんを何回もして、勝った人のレーティングが上がっていくようなゲームを考えてみよう。このゲームで一番、勝ちすぎも負けすぎもしない戦略というのは、直観的にすぐわかると思うが、グー、チョキ、パーをすべて等しい確率で出すことである。(ゲーム理論ではこれを、ナッシュ均衡とよぶ)
もし、出す手に偏りが生じてしまうと、そこを攻撃された場合に負けやすくなってしまうことは、すぐわかると思う。
さて、ここでちょっと考えよう。あなたはこのゲームに参加している。ただ、参加者の大人数がグーを出しやすいことにあなたは気付いたとする。そこであなたは、パーを多めに出すようにした。そうすると当然、あなたのレーティングはぐんと上がるのである。
ここで疑問なのは、あなたは「進化」したといえるだろうか。これは現状においては進化したといって間違いないだろう。しかし、もし参加者の大人数がチョキを多めに出すようなことが発生したとしたら、あなたは「退化」してしまうかもしれない。
ここで、わかると思うが「進化」とは、相対的な指標であって、絶対的な指標はないのである。あるゲームのある状況において、よかったものが、別のゲーム、あるいは別の状況においてわるくなってしまうことはよくある。つまり進化とは「相対的に(その状況において)よくなるような変化」のことであるといえる。
よく進化論で勘違いされるのが、「キリンは高いところの食べ物を食べるために首が長くなった」などというものである。しかし、次のように考えるほうが自然である。つまり「たまたま首の長いきりんが高いところの食べ物を食べやすかったので、生き残った」と。
実はこの考えを発展させると、面白いことに気付く。例えば人間が何々なのは、こういう理由があるからだ。というのを人はすぐに知りたがる。それは進化の過程で必要だったからじゃないか?と。しかし私は、「実は全然必要ないんだけど、別にあっても困らないから、ある」というものも結構多いんじゃないかと思う。つまり、確かに「あったら困る」ものは淘汰されるが、「あっても困らないもの」は淘汰されないんじゃないかと。
例えば、さっきのじゃんけんゲームで、勝った後にその人の今晩のごはんがなんだとか、そういうのは直接的に関係のあることではない。勝った人がうなぎが大好きだとしても、ゲームとは関係ない。そういう生きていくために必ずしも必要ではない要素は自然界にはたくさんあると思う。
ちなみに、進化の話は、良書があるので貼っておきます。
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